Blog of Mikky's own man

何にも縛られず正直に生きる

教育者を目指す大学生の活動記録

僕の持論シリーズ第3弾「人それぞれ」

こんにちは!

気持ちのいい朝ですね~

こんな日はどんなことにもやる気が出てきますね!

 

さて、またまた僕の持論シリーズということですが、

今回は、

「人それぞれ」

について書いていきたいと思います!

 

使い方を間違えると思考停止になってしまう

 

皆さんはこの「人それぞれ」という言葉をどのように使ってるでしょうか?

 

僕は考えの次元が高い低い関係なくいろんな人と対話をする機会があるのですが、

 

気づいたことが1つあります。

 

それは、

 

考えの次元が高い人ほど「人それぞれ」という言葉を使わない

 

ということです。

 

僕はこの言葉を使わないほうがいいということを伝えたいのではなく、

 

容易には使えない言葉だということを伝えたいんです。

 

例えば、

 

人の幸せって何だと思いますか?

 

という問いがあったとします。

 

皆さんはこれに対しどう答えますか?

 

ー人それぞれ

 

と答えますか?

 

僕はこれはある種の思考停止だと思います。

 

人の幸せは確かに人それぞれかもしれません。

 

しかし、

 

この問題は誰しもが幸せになりたいという欲求があるなかで追及する価値のある問題です。

 

それを深く考えもせず「人それぞれ」で片づけてしまうのですか?

 

僕は将来日本の教育を変えていくために常に人が何を求めているのかを考えていますが、

 

考えを突き詰めれば突き詰めていくほど、

 

「人それぞれ」では片づけられない何かがあると確信するようになってきました。

 

考えを突き詰めたうえで「人それぞれ」にたどり着いたならば、

 

それはまた価値のあることです。

 

そういった人がいるならば僕もぜひ考えを聞いてみたいです。

 

しかし、

 

昔の哲学者などさまざまな人がこの問題を解決しようと取り組みましたが、

 

「人それぞれ」にたどり着いた人はあまりいません。

 

有名なソクラテスもその1人です。

 

そのように、

 

「人それぞれ」にたどり着くということはとてもすごいことです。

 

しかし、

 

今の人はそれを当たり前のように使っている。

 

それも皆が皆「人それぞれ」を追求したわけではなく、

 

どちらかというと形式的に使ってしまっている。

 

これはなかなか恐ろしいことです。

 

この記事をきっかけにいつも何気なく「ひとそれぞれ」をつかっていたことを深堀して考えてみてください!

 

突き詰めていくと面白いです。

 

最終的に哲学にたどり着いたり、

 

ある人の考えに行きついたり、

 

あるいは宗教の考えに行きついたりすることもありますが、

 

自分が成長するきっかけになると思います!

 

では、また~