教育者を目指す大学生の活動記録
僕の持論シリーズ 第1弾 「中立について」
こんにちは!
いよいよ8月になりました!
これから1ヵ月間毎日更新していきます!
と言っていたんですが、5日から8日まで家族で山に行くことになってしまったのでその間だけ更新できません、、。
それ以外の日で毎日更新をしていきたいと思います!
さて、今回は少しテイストを変えます!
題して「僕の持論シリーズ」!!
ここでは僕の言いたいことをズバッと言いたいと思います!
不定期開催でやっていきたいと思います!
今回はその第1弾ということで、
さっそく本題に入っていきたいと思います!
「中立」ってなんだ?
最近いろんな場面でこの言葉が使われているような気がします。
中立的立場
中立を守る etc
では、中立って何なのでしょうか?
漢字を見てみると「中に立つ」と書いて中立です。
ここから僕は、
「中立」とは「中に立てること」だと考えます。
具体的に考えてみましょう。
2つの対立した考えがあったとします。
例:今の教育は良い!/今の教育はダメ!
ここで、どっちにもつかず第三者でいることが中立なのでしょうか?
僕は違うと思います。
僕は、自分の考えをしっかり持ち、その対立した2つの間に折れることなく立つことができる状態のことが「中立」なのではないかと考えます。
つまり、しっかりとした自分の主張を持っている人が中立の立場に立てるのだと思うんです。
だから僕は中立の立場に立つことのできる人ってとても少ないと思うんです。
多くの人はこの「中立」を安易に使いすぎていると思います。
「どっちでもない」
「どっちでもいい」
これらの人は単なる第三者です。
また、自分の意見はあるけれどそれがしっかりしていない人も「中立」とは言えません。
ここで僕の持論です!
『「中立」というのは安易に使えない言葉なので、乱用するな!!』
なぜなら、
「中立」というものが逃げ場所のように使われていることで人が考えることをやめてしまうからです。
逆です。
「中立」とは考えに考えを重ねた人にしか使えないのです。
以上、ここまでが僕の持論です。
賛否両論あると思います。
何か言いたいことがあればぜひメッセージいただけると嬉しいです!
僕に持論シリーズももっと精度を上げていきたいと思います。
読んでいただきありがとうございます!
では、また明日!